1992 diary

日常 夜の街 詩 俳句 

1992

1992年。

俺にとっては特別な年。

当時は13歳。

自我に目覚め自分の人生が始まった。

少年時代の象徴の年だ。


何しろその頃はロサンゼルスに住んでいた。

あの頃のエンタメシーンは最高だったなあ。 

特に音楽。

Guns'n'RosesやMetallicaMegadethNirvanaNine Inch Nails、Red Hot Chile Peppers、一方同時期にHip HopシーンではDr.DreSnoop Doggなんかが台頭し始めた。

スターを超えて怪獣達の競演だったね。

今思えば。

本当にワクワクしながらMTVを見てたよ。

NBA も最高だった。バルセロナ五輪のドリームチームの時代。役者が揃いすぎ。

今でも地球上で史上最高のスポーツチームはあのドリームチームだと思っている。


俺も必ず何者かになれるって希望で一杯だったな。あの頃は。


とまあ1992年を思うと。

ロサンゼルスの乾いた風の匂いを感じるよ。

ノスタルジーだけじゃない。

今を頑張ろうってガッツが湧いてくる。

13歳の俺が見ているぜ。


今は何故か東京を這いつくばっている感じ。

だがまだハートもある。

髪もある。

ハンサムだ。

人生終わってねえ。

やるぜ。





新しい飲み方

先日に新しい飲み方を試みたので

記録しておこう。


筆者は毎週金曜から土曜朝まで飲む習慣がある。それ以外の日は基本飲まないのだが、

この週末の飲酒だけは規則正しく15年続けてきた。しかし最近になりこの習慣を家内が嫌がるようになった。まあ子供も物心ついてきたし、悪習慣である事は確かなので俺もやめたい気持ちはあった。しかし元来終電過ぎの深い時間が好きな事に加え、一旦酔い始めたら止まらないタイプ。自制して終電にのる自信は全くない。かといって酒そのものをやめる覚悟もない。


そこで考えた。夜は帰って寝て、始発で飲みに行ったらどうだろう。この時期の早朝だったらまだ暗いし深夜気分も味わえる。生活リズムが狂う事もなく健康にも良い。いい事ずくめじゃあないかあ。早速実行に移した。


結論、最悪の飲み方、、、


もっとも誤算だったのが時間だ。夜から飲む場合、夜が明けて太陽が顔をだすと何となく後ろめたくなり気分的にも終わろうってなる。だか最初から太陽だとそのメリハリがない。時間も無限にある。結局歌舞伎町で12時間以上飲み続けてカネが飛んでった。

それ以上に人として何かを失った気もしたな。


やはり酒は夜にひっそりと飲むものだ。




記憶が飛ぶまで

記憶が飛ぶまで飲んでしまう。

いつからか記憶が飛ぶまで飲まないと

飲んだ気がしなくなった。

酒に強い訳でもないので日本酒二合でも

飲めばもうほろ酔いだ。

だがそれでは収まらない。

更なる酔いを目指して杯を重ね、

どこかの時点でブラックアウト、

気が付いた時は家の布団の上だ。

いつまで飲んだのか、

どうやって帰ったのかも記憶が無い。

二日酔いの吐き気に耐えながら、

着てた服のポケットからレシートや小銭や

グシャグシャの千円札をかき出し、

何とか昨夜の足取りを探そうとする。

ごっそり減っている口座残高を見て

更に吐き気が増す。

無駄だ。余りにも無駄過ぎる。

無駄だと思えることの中にこそ意味がある

なんて事は全く無く、クソ無駄だ。


それにも関わらず週末の夜になると

また嬉々としてネオン街へ飛び込む。

そしてまた同じ事を繰り返す。


何となく理由はわかっている。

おそらく毎週自分を小さく殺して

いるんだと思う。


満たされきれない現状へのもどかしさ、

葛藤、行動できていない己への苛立ち。

そんな全てを毎週末殺しているんだろう。


こんなのリフレッシュとは呼べないぜ。

キリがない上に何も生み出さない。

その内大切な何かを失うだろう。


そろそろ生き方を変える時が近づいている。